妻の卒業式

テキスト・伊藤緑
2006/03/19

妻の卒業式 第五話

『また逢う日まで』

2004年7月26日 21:15~放送
お互いの良さに改めて気づきながらも、離婚へと向かって歩き始めた二人。娘の結婚式の日を離婚の日に決めた妻。さて、結末はどうなる?

■自分があるからこそ、誰かと居られる

妻は考えた。自分の自立について。夫は今の延長上にあるのではないかと言う。そんな時、妻はスープで慰められたことを思い出す。

妻は決心する。スープを仕事にしようと。韓国料理店に修行に行き、近所の人を相手に仕事をしたいと考える。

夫は、妻が進んでいく姿をみて、自分の情けなさを感じていた。講習会で家具の修復を学び、その先どうするか? 骨董屋の主人の勧めで、飛騨高山へ勉強に行くことにする。

夫は妻の良さに気づいていた。できれば、離婚を撤回したいとも思い始めていた。だけど、伝えることはできず、後には引けない状態になっていた。なにしろ、自分が言い出したことなのだから。

結婚式、離婚の前夜。妻は言う。あなたは役割に疲れていたんでしょう。父としての役割、夫としての役割、人事部長としての役割。だから、神崎隆之という独りの人間になりたかったんでしょう。そして、妻は気づいた。自分は妻という役割を奪われた、と。神崎恭子というひとりの人間になって、何も持っていないことに気づいた。そしたら、力がでた。その後に、生きているってことに気づいた。そして、もっと力が出た。

夫は言う。「今、俺は俺を生きている」、そう実感していると。

妻は決めた。「夫と別れた事によって、幸せになろう」と。それが自分自身への礼儀だと。

夫は告白する。本当は、恥をしのんで、離婚を延期してほしいと言おうと思った、と。しかし今は、君と結婚できたことを誇りに思うと断言する。

娘は言う。父と母との離婚のことで、結婚に対して真面目に向き合えたと。そうでなかったら、ふわふわした気持ちのまま結婚していたと思う、と。

そして、夫婦は離婚届けの提出へ向かう。新たなスタートだ。

一年後、娘が出産し、病院で元夫婦は再会する。病院を出て、夫が妻に声をかける。「どうかな? お茶でも」。

■いただきワード『私は私を生きているんだ』

夫は親しい友人のようだった。妻は思う。夫婦でいたときは、当たり前の存在としか思えなかった二人だが、それぞれの人生を生きることになって、自分の居場所を持った上に、お互いを見つめることができるようになったのだ。そう、自分を生きていることが分かったからこそ、相手を見つめることができる。

岡江さんの「じたばた」セリフはこの回でした。

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