第26回「太陽」森山直太朗
1年に何人か、突然現れる歌手がいる。それは有線へのリクエストだったり、何かの主題歌だったりして、人ではなく曲ありきで生まれてくる。そして、浸透するうちにオリコンの上位に現れる。そんな風に去年メジャーとなった森山直太朗の4枚目のシングル「太陽」を紹介してみよう。
●森山直太朗って?
(→レコード会社サイト)
森山直太朗 :1976年04月23日生 東京都出身
大学時代から、楽曲を作りはじめ、直太朗という名前で、月に1〜2回のペースでストリートライブやライブハウスでの活動を開始。2001年3月7日にミニアルバム「直太朗」でインディーズデビュー。2002年10月2日にミニアルバム 「乾いた唄は魚の餌にちょうどいい」でメジャーデビュー。2002年11月27日に発売した「さくら(独唱)」が大ブレイク。自ら"夕暮れの代弁者"と名乗り、時代や性別を超越した作品を発表している。
■損のない福袋
プロモーションビデオでは、商店街を歌いながら歩く森山直太朗。その周りを人が囲み一緒に歩く。そのプロモーションビデオが何を意図して作られたかは、明確には知らないが、ひとつの考えとしては、彼の言葉に追随する人たちにも思える絵である。この歌詞は、損のない福袋。いろんなものが詰まっている。
分かりやすいところで言えば、この言葉。
ほらまた縦列駐車でぶつけてる
たいして急ぐ理由なんてないのにね
なぜか、急ぐ人が多い現代。「急がば回れ」という言葉はすっかり忘れ去られているなぁ。いかに早く目的の場所へ移動するかや、いかに効率よくひとつの事柄を片付けるかばかりを考えている。そういう人に限って、余った時間でやることがなかったりするんじゃないかと思うのだけど。移動にしろ、事柄を完了させることにせよ、過程にも、いや過程にこそ意味があったりするもんだよね。どう? もちろん、完了させることも大事なことだけど。
そして、
ある事件で捕まった犯人の顔は嬉しそうだった
この部分には、自分で決着を付けられない現代人が象徴されている。犯した犯罪から逃げ続けることは普通の感覚を持つ人には耐え難いこと。並大抵の精神力では太刀打ちできない。それは、自分を責めるという行為との戦いになるからだ。だからこそ、捕まるということで、他人に決着をつけてもらって安心していると言う絵が浮かぶ。ただ、「嬉しそう」という言葉に含まれる多くの意味、もし、「薄ら笑い」という意味での嬉しそうなら、捉え方はまったく違うものとなるけど。もしかして、聴き手に任されているのかも。
■起き抜けの革命家
2004年を前にして、"起き抜けの革命家" という名乗りを新たに挙げ出した森山直太朗。起き抜けという言葉が彼の風貌とマッチする。そして、歌ったのが、
この真っ白いキャンパスに
あなたなら何を描きますか 「自由」という筆で
という言葉。白いキャンパスというのは、今までも多くの歌で使われてきた。まだ見ぬ人生を例える象徴的な言葉だ。キャンパス自体が人生を例えるものとなっている。
そういえば、宇多田ヒカルも、『COLORS』で「いいじゃないか キャンバスは君のもの」と歌ったりしている。そのあまりに普遍的な言葉を使いつつ、これまた「自由」というつかみ所のないものを、絡めてきた。気を緩めているとこの歌詞、すごく当たり前に聴いてしまうけど、実はとっても重い。人は「自由」であるほど、何をしていいか分からなくなり、「白いキャンパス」ほど何を描いていいのか分からない。
その分からないものふたつを使って、何を描くかと問いかける。多くの人は、しばし筆を動かすことができないであろう。そして、やっとの思いで描いたものに人は満足するのだろうか? これは、たぶん常に訓練していないとできないこと。消去法で物を選ぶのではなく、自らの意志で選び進む癖をつけていれば、白いキャンパスも、自由も怖くないはずだ。そして、"起き抜けの革命家" と名乗る森山直太朗は、白いキャンパスに何を描いてくれるのだろうか?
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